ジゴワットレポート

『ワンダーウーマン』の面白さは、割と最後まで引っ張る「勘違い」にある

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自分も「アメコミ映画は好きだけどアメコミそのものにはあまり詳しくない」タイプの人間なので、『ジャスティスの誕生』で突如主役級のオーラをまといながら登場したワンダーウーマンにはとても驚いた記憶がある。

まさに「え?なに?この女の人もヒーローだったの!?」という感じだった。ある意味幸せな鑑賞体験なのか・・・?

 

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ワンダーウーマンは、そんな経緯でDCEUに登場した彼女の、満を持しての主役作。

男がいない神話の世界から抜け出した女性が、その無垢のままに突っ走り、男と恋したり戦争に介入したりするお話。

 

過去にも書いたことがあったと思うが、アメコミ映画のユニバース構想としてすでに確固たる地位を築いているマーベルのMCUに対し、DCEUはまた違った切り口で挑戦しているな、という印象がある。

 

MCUは、まずはキャラクターの魅力を押し出しつつ、そのヒーローが現実社会に本当にいたらどうなるのか、というアプローチ。

DUEUは、世界観や設定・ヒーロー登場により影響を受けた社会そのものを先に提示し、その中で進行するヒーローのドラマはどのようなものか、という感じだろうか。

 

MCUが近年のVFX大盛映画の文脈を受け継いで実写に溶け込むVFXを描くのに対し、DCEUはどちらかというと嘘を嘘のまま提示する(VFXが必然として『浮く』ことを外連味としてあえて活かす)印象があり、これはどちらが良いとか悪いとかいう話ではなく、作風・絵作りの違いとしてとても面白いなあ、と。

だから、『ジャスティスの誕生』なんかは、いくつも「まさにアメコミのワンカットじゃないか」というシーンがあったり、そのライティングや止め画的なアプローチなど、またMCUとは違った魅力があると感じている。

 

(だからこそ、『スーサイド・スクワッド』は下手にMCU寄りにしようしてしまったことこそが失策だったのでは、と思うのだが、まあそれはここで語ってもしょうがない・・・)

 

※以下、映画本編のネタバレがあります。

 

 

今回の『ワンダーウーマン』も、まずはしっかりとした世界観をたっぷり提示するところから物語が始まっている。

見惚れるほどの引きの映像で魅せるダイアナの住む「神話の島」が、色調込みでいかにもな作り物感満載で、その「非リアル性」がDCEUらしいなあ、と思うのだ。

そりゃあ、実際には無い島なのだから、「ありそう」に作ってもしょうがないのかもしれない。

 

「外界と遮断されている幕はただ見えないだけで物理的には無意味なのかー!」というツッコミはさておき、兵士が攻めてきた時の女戦士たちの立ち回りも、跳ねたり・回転したり、随所でスローモーションを多用しながら、「一枚絵としての成立」を提示してくれる。

 

これは後半のワンダーウーマンの戦闘も同じで、窓ガラスをガシャーンと割って突入するシーンに始まり、建物から飛び出す過程を横移動で魅せるのも面白い。

クライマックスの戦闘も、光のビーム?ムチ?が映えるように夜に行われ、スケール感が伝わるように広い滑走路で争うなど、ロケーションにも気が配られていて良かった。

 

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ストーリーとしては、ダイアナの「勘違い」を結構終盤まで引っ張るのが興味深かった。

 

いわゆる「江戸時代の武士が現代にタイムスリップしてきて色々と勘違いする(例:テレビを見て箱の中に人がいると思う)」といったコメディ的な文法が用いられていて、当然それは彼女が着替えをする中盤のくだりにも活かされているのだけど、そっくりそのまま彼女自身の克己にまで繋がっているのが上手い。

つまりは、「この戦争はアレスという悪い神が引き起こしたものだ」という彼女の出自とも絡む「思い込み」が、割と最後まで解消されないという部分だ。

 

この思い込みが解け、「人間の心そのものにある悪意が戦争を引き起こす」(=なにもかもが神の手によるものではない)ということを痛感した時、初めて彼女は本当の意味で「島を出る」ことに成功したのだ。

 

それを踏まえて、それでも「人間のために戦う」ことを決意してアレスと対峙する、その意識の変化こそが、克己(=自らに打ち勝つ)に他ならない。

ヒーローの誕生譚、いわゆるオリジンには、欠かせない要素だ。

 

だからこそ彼女は後にジャスティス・リーグの発起人にもなる訳だが、そうさせてくれたのがひとりの男性で、しかもその男性が自ら命を散らしてしまうというのが、なんとも儚い。

というより、ベタというか、ある種の『タイタニック』的なやり方である。

何も知らない私に世界を教えてくれた貴方は、私を外に連れ出して、そして消えてしまうのね、という・・・。

「彼が守った世界」を守ることに、彼女自身を含め、誰も異論は無いだろう。

 

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終わってみると、実際にワンダーウーマンがあの衣装で活躍するまでがちょっと長い(テンポが悪い?)かな、とも思ったけれど、一点突破の爆発力はさすがのDCEU節という印象。

 

また、ガル・ガドットが問答無用の美しさなので、とにかく画が保ちまくってすごい!

オーラと眼力のある女優が主演をつとめると、それだけでグングン引きずられるような感覚があるんですよね。これは実写版『ちはやふる』でも感じたやつ。

 

この作品の勢いそのまま、続く『ジャスティス・リーグ』でDCEUそのものがドカンと炸裂することを願ってやまないです。

 

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エヴァがエウレカで、エウレカがハイエボへ。『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション1』の、観れなかったもの。

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私にとって『エウレカセブン』は特別な作品だ。

 

何かと斜に構えたがる十代の頃にこのアニメと出会い、レントンエウレカの赤面連発なイチャイチャに目をそらしながらも、この作品を通して「フィクション作品とはどのように作られるのか」という観点を持ったような記憶がある。

 

それまでは比較的純粋(?)に作品そのものを鑑賞していたような気がするが、『エウレカ』の作り込まれた(ある種の「気取った」)世界観を目の当たりにして、「これはどんな人たちがどういう意図で作っているのだろう」という好奇心が湧き、自らアニメ情報誌を読んだりネットで製作者のインタビューを探したり ・・・という行為をするようになった。

 

この少し前にドハマりしていた水島監督版『鋼の錬金術師』は、原作が漫画ということもあり、そこからどうルート分岐するか・アニメ版では何を描きたかったのか、ということを当時の自分なりに考察していた記憶がある。

対する『エウレカ』は原作がアニメ制作会社そのもので、しかも「エウレカプロジェクト」と称したアニメ・ゲーム・漫画・フィギュア等々の同時進行&露出というものであり、主にウルトラマン仮面ライダーといった特撮ばかりを観て育ち、アニメ文化に積極的に触れてこなかった自分にとって、それはとっても新鮮で、斬新で、興味を引くものだったのだろう。

 

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後に自他共に認めるオタクとなり、大学時代の有り余る時間を使って色んな作品を鑑賞して(『エヴァ』もこの頃に初めて観た)、そうしてやっと「『エウレカセブン』には無数のオマージュ・リスペクト・お遊び・王道要素が詰め込まれている」ことを実感したのだが、やはりどうしてもそれは順序的に「あと」の話で、こと私自身に限っては、いつまでも『エウレカセブン』のそれが「オリジナル」に思えてしまう。

 

話が飛躍するが、そういう意味で、私は『エヴァンゲリオン』と『エウレカセブン』に勝手な共通項を感じている。

もちろん、物語的に似ている要素や演出の話もあるにはあるが、ここで言いたいのはそういう話ではない。

エヴァ』も、庵野氏を初めとする作り手の膨大な趣味嗜好の上に築かれたもので、その演出の細部に至るまでオマージュやリスペクトが詰め込まれている訳だが、どうしようもなく今やひとつの「オリジナル」と言えてしまうほどに大きな知名度を誇っているし、とはいえ、作品を好きになるのにいわゆる「元ネタを知っていること」は必須でも何でもない。

 

つまりは、私が『エウレカ』を観てそそられた好奇心や興味を後からオタク知識として補完したような流れを、当時『エヴァ』を十代で観た先人たちも辿ったのではないのかな、と。勝手に、そういう妄想をしてしまうのだ。

 

この演出にはこういうオマージュ元があった、聖典やそれに準じるもののこの辺りをストーリーに引用している、視聴者を突き放す演出意図はどこにあるのか、独自の世界観はどういう文化背景をピースとして作られたのか、主人公は・ヒロインはいわゆる「なに的」なキャラクターなのか、アニメ的によくある展開としてどういうものがあるのか、この作品は前後の作品群からしてどういう影響を受けて・後に与えたのか、etc・・・。

 

そういった、「好き」の上に築かれた斜め上のあれこれが時を経てひとつのスタンダードになってしまう幸せな錯覚を、私は『エウレカセブン』に今も強く感じているのだ。『エヴァ』世代の方々から「一緒にするな」と一蹴されるかもしれないが、確かに私の中ではこうだったので、仕方がない。

 

TVシリーズ 交響詩篇エウレカセブン Blu-ray BOX2 (特装限定版)

 

・・・という意味で、私の中で『エウレカセブン』はとても特別な作品なのだ。

 

そんな、自分のオタク史とは切っても切り離せないシリーズが再始動するということで、こりゃあもう、映画館に観に行かない訳には行かないのですよ。

 

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行きの車の中ですでにハイになりながら劇場に辿り着き、周囲を見渡すと、私と同年代か少し上の世代の観客ばかり。

私と同じような「当時組」の面々が駆けつけているという訳だ。

 

そんなこんなで幕を開けた『ハイエボリューション1』は、率直に、賛否両論を展開する内容だと感じた。

 

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※以下、映画本編のネタバレがあります。

 

 

テレビシリーズ本編では描かれることのなかった「過去の大惨事」=「サマー・オブ・ラブ」が初映像化され、伝説の存在とされていたレントン父親・アドロックがついに喋る。

戦線で活躍していた頃のビームス夫妻や、まだ世界の真実に近づいていなかった頃のノヴァク兄弟など、往年のファンにとっては「これが観たかった!」なポイントが多く、それだけで大満足だと言えてしまえる造りにはなっている。

 

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が、ぶっちゃけ「サマー・オブ・ラブ」の凄い映像に気圧されながらも、その実何がどうなっているのかは分かるようで分からないし、なんとなく「アドロックが」「直前で自ら立案したスカブコーラル殲滅作戦に反旗を翻し」「自らの命を賭して沈静化させた」という大筋だけが理解できる程度であった。

この辺りの「雰囲気と断片的な台詞だけで綴ってわざわざ説明しない」あたりは、相変わらずの「エウレカ節」だなあ、と。(まあ、この方法論がまたオタクの考察意欲を必要以上に煽る訳だが・・・)

 

で、新規作画パートが終わったその後は、基本的に総集編となる。

 

しかも、単なる総集編ではなく、本編とは部分部分の設定を変えながらも、時系列を小まめにシャッフルした作りという、意図的に混乱を招くような描き方になっていた。

これまた良くも悪くも「エウレカ節」だなあ、と苦笑いしながら、テロップで明示される日付や時刻をもとに脳内でタイムラインを組み立て、カットインされる英字から過去へ飛ぶのか未来に戻るのかを逐次整理しながら、「漏らす」「取りこぼされる」ことがないように頑張って鑑賞した。

 

再現集の意図としては、「エウレカセブンの総集編」という感じではなく、「レントンの物語に焦点を当てる」といった感じだろうか。

 

テレビ本編も言うまでもなく主人公・レントンの物語だったが、エウレカという謎の美少女の出自をミステリーの要素としながら、恋愛を軸に異種族との可能性を追求していく粗筋となっていた。

今回のハイエボでは、正真正銘の「レントンの物語」に比重が調整されており、実の父・アドロックが死亡し、義理の父・チャールズと別れ、そうして「少年」が「男」に成長するまでの歳月を積み上げる形になっている。

だから、「エウレカとの恋愛」はあくまで「レントンの精神的挫折の要因」として処理され、エウレカのキャラクター性がほとんど映画本編で露出されないという、タイトルもびっくりの仕上がりになっていた。

 

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十年来のエウレカファンにとって、「レントンエウレカがイチャコラしてニルヴァーシュを駆る」というポイントはどうしても期待したいものであり、まさかのそれを全部省いてしまうという今回の作り方は、良く言えば「挑戦的」、悪く言えば「相変わらずの拗らせっぷり」という印象だ。

こういう部分が、私が再三言っているような、「エウレカ節」の正体とも言える。

 

せっかく過去と現在をカットバックして描くのであれば、最後の最後に、「エウレカレントンの出会いのシーン」と「モーニング・グローリーの再会シーン」がほぼ同時に描かれるような、そういう演出的な爽快感が欲しかったのが本音だ。

しかもそこで「DAYS」なんか流しちゃったりしたら、それだけで号泣したくなっただろう。

仮にそういうシーンがあったらカットバック多用のシャッフル演出にも意味があったと思えるのだが、「レントンのふらふらと迷える心を模したような」この出来栄えだけでは、正直、「妙なオシャレ感を求めた結果、単に分かり辛くなっただけでは?」という疑念を完全には払拭できない。

 

徹底的に「テレビ本編でメインだった魅力ポイント」を観せないことで、「レントンの物語はここから始まる!!」という帰結にのみ絞ったところは、一種の潔さを覚えると同時に、清々しい諦めすら感じさせてくれる。

「ほーら、またこっちを突き放して引っ張り回すあの『エウレカ』がやってきたぞ」。

そういうふうに思えてしまうのは、好きになった方が負けの恋愛と同じである。

 

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今回徹底的に「レントンの物語」に絞ったのだから、続く『ハイエボリューション2』は、エウレカの出自をアネモネを絡めながら描いてくれるのか、はたまた、原典とはかけ離れた方向性に突っ走ってくれるのか、色んな期待と不安がうごめく。

ただ、私にとっての「オリジナル」が最終的にどんな形になっていくのか、それは、たとえどんな内容になろうと、観ない訳にはいかないのだ。

 

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この主題歌のあまりの「エウレカっぽさ」には見事にやられた。

 

 

◆最近観た映画の感想

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「文章を読めない」の正体は「短文を理解する能力が先行してしまう」ではないだろうか

 

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いつも拝読しているブログのこちらの記事を読みました。

 

例の中高生の読解力不足の報道が事の発端となる話題。

全編面白かったのですが、特に「ふむふむ」と読んでいたのがこちらの部分。

 

  というわけで、厳密にいえば「何も考えていない」ではなく「思考する」ところに至っていないというのが正しい。この辺の理解が教育行政を司る人たちに進まない限り、現在生まれている教育格差とか教育の詰め込みとか発達障害の療育とかそういった諸問題は解決しないと思う。「10個を2人で分けたら何個ずつになるでしょう」はわかっても「10cmを半分にしたら何cmでしょう」ができない。ここまでくると向き合う側に根気と忍耐が絶対必要になってくるし、その前に周囲の理解が得られないのが一番悲しいことだと思う。

 

「読解力がない」を「文章を読み解くスキルがない」と読み替えて、「じゃあどうすればスキルを養えるのか」というのが、この一連の話題に共通する課題だと思うのだけど、こちら文章にもあるように、問題はもっと手前にあるのかもしれない。

 

つまりは、「厳密にいえば「何も考えていない」ではなく「思考する」ところに至っていない」という前述の引用部分。

「文章を読み解くスキル」云々ではなく、そもそも「読み解こうとしない」「思考が読み解くという段階にまで至らない」という可能性。

 

以下、昨晩自分で呟いたTwitterの内容。

 

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「読み解こうとしない」「思考が読み解くという段階にまで至らない」というのは、正確には「日常生活で養ってしまった<短文を理解する能力>が自動的に先行してしまう」ということで、「長文読解に至らない」というのはその結果に過ぎないのではないか、という仮説。

 

<短文を理解する能力>というと、どうにもざっくりしすぎているが、それについての補足のようなものが、以下。

 

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本当に恥ずかしい話で、英語ほど自分の中で「中途半端に学んでしまった」ものは無いと思っている。

だから、先に書いたように、文法とかほとんど分からなくて、知っている・見たことがある単語や文型から何となく情報を拾い上げて頭の中で連結させて文章にしてしまう、という愚行が、驚くべきことに無意識に先行してしまう。

「テニス」「遊ぶ」「私」という単語があったとして、勝手に「私はテニスで遊ぶ」という訳をしてしまう、という感じ。本当は「私はテニスに遊ばれていた」かもしれないのに。(あくまで例です)

 

つまりは、前述の<短文を理解する能力>は、この「中途半端に知っている状態」とニアイコールなのではないか、という話。

 

長文を読むほどに「慣れて」いないけど、でも知らない言語ではない。

だから、字面の雰囲気や知っている単語だけを何となく連結させて、「おそらくこういう意味だろう」という理解をして、実質的な「読解」にまで至らない。

Twitterで万単位でRTされたツイートにぶら下がっているリプライ欄には、こういう手順で生成されたようなツイートが沢山ぶら下がっている。

 

じゃあ、その<短文を理解する能力>だけが脳内を支配することを避けるために、何をどうすれば良いのか、というのが次の話。

 

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つまりは、これに対する・・・

 

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こういうやつ。

 

トイストーリー―映画ノベライゼーション (ディズニーアニメ小説版 (1))

 

メディアの違いでどういう表現がイコールとされているのか、というやつ。

「長文を読む」とか以前に、思考的に「見る」を脱する練習をさせてあげられたらな、と。

面白いと思うのだけど、果たしてどうかな。

 

とはいえまずは、私自身ももっと本を読まなくてはならないな、と痛感しつつ、終わりにしておきます。

 

平成ライダーシリーズでも最高峰だと思っているあの5秒足らずの名シーンについて語る

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平成仮面ライダーシリーズももう19作続いていて、30分の50話で単純計算してもエグゼイド時点で1,620,000秒もの時間が流れている訳ですが。

その中でも、たったの5秒ほどだけ、自分の中で不動の第1位とも言うべきお気に入りのシーンがあるんです。

 

 

クウガで一条さんが去り際にサムズアップするシーン?

 

アギト初回でアギトが出てきた時の見事なライティング?

 

龍騎で浅倉が城戸真司が馬鹿だと思って手を挙げるシーン?

 

ファイズ劇場版で木場が真理の本音を聞いてしまって苦い表情をするカット?

 

剣でワイルドカリスが暴走するキングフォームに詰め寄るシーン?

 

響鬼でヒビキさんが鬼にならずに魔化魍を倒すくだり?

 

カブトで加賀美がザビーの資格を放棄する流れ?

 

電王でクライマックスフォームが初登場するシーン?

 

キバでルークにトドメをさすのをゆりに譲る音也のカット?

 

ディケイド響鬼編で流れた当時のナナシの雪辱を晴らす見事なセッション?

 

ダブルでフィリップが消えると分かっていながら変身を解除するシーン?

 

オーズ最終回の映司の変身?

 

フォーゼ第1話の必殺技を決めた後のドリルのグルグル?

 

ウィザードのクライマックスであえてコヨミが蘇らないシーン?

 

鎧武5話でボロボロになりながらも戦うミッチ?

 

ドライブで初めてハートと戦った時の進之介のキレッキレの変身ポーズ?

 

平成ジェネレーションズでのタケルの「変身できるとかできないとか関係ないっ!」?

 

エグゼイド序盤の貴利矢回でやっぱり嘘つきだと言われて立ちすくむ貴利矢?

 

ビルドでチャック開いてたとこ?

 

 

全部間違いなく名シーンですよ・・・。
というか、これ、やっていったら何日やっても足りないです。

 


でも自分の中でもう十数年も不動の1位なのは、これ。 

 

 

EPISODE 33 連携

EPISODE 33 連携

 

 

 

仮面ライダークウガ』EPISODE33「連携」。

 

・・・の、キックのシーンではなく。

 

 


杉田さんの目の前で五代がクウガに変身して・・・

 

杉田さんが「ぉお!」と感嘆の声をあげて・・・

 

横にいた一条さんがちょっとだけ得意げな顔をする・・・

 

 


ここ!このたった5秒くらい!!


これなんですよ。

 


仮面ライダー」ってやっぱり文字通り仮面劇で、登場人物がどのような「仮面」を付けているのか、そして、正体を知ってる・知らない・知られることでドラマが起きるのが面白い訳です。
それは、むしろ「仮面ライダー」に限らずヒーローもの全般にも言えることなんですけど。


で、『クウガ』も含めて、「変身している=異形の存在」という解釈がやはり好きで、初代の1号は言うまでもなくバッタ怪人ですし、剣のカリスだと助けられた親子が恐怖を感じてしまうし、クウガは未確認生命体として警察に追われる訳です。
その「異形の存在」が実は身近な人物だったと分かる、そして、「単に見てくれではなくそこに伴う行動がその対象の理解に繋がる」という物語的なアプローチがあり、そうして「仮面ライダー」の仮面劇は面白くなるんだよなあ、と。
キャラクターが付けている「仮面」の意味が少しずつ変わっていったり、深堀りされていったり・・・。

 

そういう意味で、『クウガ』は本当に大好きなんですよ。
「未確認生命体4号」に分類されて、警察に発砲までされて、時にはメディアに批難されながらも誰かの笑顔のために戦う五代雄介。
そんな五代の一歩間違えば孤独すぎる戦いを同じ目線で理解してくれたのが、唯一、一条さんなんですよね。
一条さんは時に警察組織に反発してでも五代をサポートして、時には五代を叱り、説得し、そして五代もそれを受け入れる。
そして、五代の「行動」は理解され、遂には警察組織の完全なるバックアップを実現させる。

それが、33話の「連携」。


強すぎるグロンギ(44号)に対し、バイクを破壊され、対抗できるかもしれない赤の金の力は莫大すぎる破壊力を予感させる。
五代は警察と連携して敵を僻地で倒す訳だが、この前に杉田さんと車内で理解し合うシーンがある。

杉田さんは物語序盤で4号の射殺命令を受けて銃を向けたりで、当初はクウガが味方であることに懐疑的だったひとりだ。それが、直接クウガに助けられたこともあり、娘の一声もあり、次第に仲間意識を感じていく。
この33話では、五代に射殺命令の件を直接謝り、五代からも「思いは一緒です」という返事をもらう。
もうまずここで感動するんですけど、最高なのはこの後。

 

新しいバイクを手に入れた五代は、杉田さんと一条さんが見ている目の前で変身する。


変身ポーズをばっちり決めて、「変身!」。
全身がクウガに変わる。


すると、間髪入れず杉田さんが驚く訳ですよ、「ぉお!」と。
以前自分が敵として銃を向けた、自分を助けてくれた、そして今警察と連携するにまで至った異形の存在の正体が、先ほど信念を語り合った青年だと、頭では分かってはいながら、ここで初めて彼の中でそれが現実のものとして落ちてくる。

 

そして、その直後。


ずっと五代の孤独な戦いを見てきた一条さんが、 ふっ と、少しだけ、得意げな顔をするんですよ。
「すごいでしょう? うちの五代は」と言いたげな表情で。


ここがまた最高なんですよ・・・。


警察組織内でもごく限られた人間だけが五代の正体を知っていて、でも、実質的にはまだ一条さんがひとりで抱え込んでいるような状態だった。
それが、警察とクウガの全面協力にまで至り、一連の事件の初期から現場にいた杉田さんの目の前で変身するにまで状況が変わった。
一条さんも、わざわざ語りはしないものの、やはり少し肩の荷が降りたと思うんですよね。
そして、相棒ともいえる五代を、より一層誇らしく思えるようにもなった。

 

そんな、仮面ライダー」としての仮面劇の面白さ、「異形の存在」がヒーローとして認められる爽快感と達成感、その全てが、このほんの5秒ほどにギュッと詰まってると思うんですよね。
その後のバイクで追い抜いて急減速からのキックも言うまでもなく最高なんですけど、当時VHSを何度も巻き戻してこの杉田さんリアクションシーンを観まくっていました。


クウガ』の、「仮面ライダー」の本懐って、つまりはこういうことなんだろうな、と。
20年弱シリーズを観続けている今でも、やはりこのシーンが群を抜いて大好きですね。

 

ありがとう、杉田さん。

ありがとう、一条さん。

 

 

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