ジゴワットレポート

誰が『誰が賢者を殺したか?』を殺したか?

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『誰が賢者を殺したか?』という漫画が、本日最終回を迎えた。

 

約2年前にこの漫画を初めて読んだ時に受けた衝撃は、今もしっかりと覚えている。

好奇心を掻き立てるタイトル、話の全容が見えないまま進む第1話、最後にカチっと音がするくらいに歯車がはまりタイトルの意味が判明する幕引き・・・。

 

週刊少年ジャンプのアプリ版「ジャンプ+」、の、ルーキー専用「少年ジャンプルーキー」で開催された「少年ジャンプ+連載グランプリ」。

エントリー作品が1~3話を公開し、読者からの投票数を競い、編集部の最終選考を経て選ばれた作品は、“本家”である「ジャンプ+」での連載権獲得と単行本発売が確約されるという、集英社の新しい取り組みだった。

 

rookie.shonenjump.com

 

このグランプリで見事連載を勝ち取ったのが、『誰が賢者を殺したか?』である。

内容はほぼ同一の連載版1話は、今も公式で読めます。

 

shonenjumpplus.com

 

当時の自分の感想を拾ってみたら、こんな感じでした。

 

https://twitter.com/slinky_dog_s11/status/660621717614628864

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そしてグランプリを受賞したのも、嬉しかった。(もちろん全力で投票しました)

 

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https://twitter.com/slinky_dog_s11/status/660621717614628864

 

今読み返しても第1話はやはり面白い。

 

DNAのデバイス化に成功したという近未来の世界ではARによる視覚や聴覚が標準化されている、という設定。

そんな人体・遺伝子レベルまでインターネットが普及した世界で、それらに頼らずに生きる民族の少女(主人公)。

かつて世界規模のサイバーテロを起こした通称・魔王、そして、その魔王を討伐したハッカー集団、通称・一行(パーティ)。

そんな一行の一員だった少女の父親こと「賢者」が、何者かに殺される。

一方日本では、さえないぼっちの大学生が一行の「盗賊」だったことが描かれ・・・。

 

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(出典:『誰が賢者を殺したか?』 原作:奈々本篠介、作画:三雲ネリ 株式会社集英社

 

伝説のハッカー集団の一員である「賢者」を、誰が殺したのか?

少女は「盗賊」やFBIと協力しながら父の死の真相を解き明かす・・・!

 

と、まあ、こんなお話の訳です。

ここまでが第1話で、グランプリを受賞した3話までは、その少女と「盗賊」が対面するかしないかくらいだったかな、確か。

 

ARが現実世界に完全普及しているという設定なので、「盗賊」は光のロープを飛ばしてその場でハッキングを行ったり、そういった、何となく新しい感じの絵面が見られるのは面白かったなあ。

なにより、「インターネットが劇的に普及した世界でそれに触れてこなかった民族の少女」という主人公設定は、作中で当たり前に用いられるAR技術が「彼女には効かない」という状況を作るため、存在自体がカウンター要素になるのが特徴的なんですよ。

 

で、まあ、実際に連載が開始されると、これがまあ、絶妙につまらない。

グランプリを獲った3話までが完全にピークだったと、終わった今改めて断言したい。

謎を知る・または謎に辿り着いた人物が出てきては殺され、出てきては殺され、捜査は後手に回り続け、身内に真犯人がいたことが判明し、最後にはなんとなく解決して終わった・・・。

 

こんな・・・ こんなことがあってたまるか・・・。

確かにグランプリ選考の頃から画力はまあまあだったけど、でも、とにかくこちらの好奇心を煽って掴みにくるストーリーと演出はずば抜けていたはずだ。

やはり、「3話までで面白い」と「実際に連載を継続しても面白い」はイコールではないのか・・・。

ただ、それはそれとしても、哀しいまでに、あからさまに魅力が半減している気がしてならない。

 

なんだかんだ「コイツは裏切りものだったー!」「真犯人はこれだー!」って感じで盛り上げてくるところは、そりゃあ、少しは「お?いいぞ!」とはなるんですけど、「盛り上がりを作るための盛り上がり」という感じで、よくよく考えると辻褄が合わなかったり、盛り上がりがすぐに失速したりして・・・。

裏を返せば、「盛り上がりを設定して演出することだけは巧い」ということで、それは確かに「3話までで投票数を競うグランプリ」には最も適していたのかもしれない。

 

「盗賊」ゾロとのバディ物っぽくしておきながらそのゾロを殺す展開は、まあ確かに驚きはしたものの、それだけ。

彼が死後残したものが劇的に状況を変えたかというと、変わらなくて、結果的に今でも「ゾロが生きてた方が面白かったな・・・」と。

そのあとは、主人公がひたすら自己主張して、一行が満を持して出てくるも会議室に詰めて作業するばかりで、そいつらもハメられてしまい、「一行、弱くね?」と。

なんかもう、最初に期待させてくれた期待値をあらゆる面でことごとく下回っていってしまう訳です。

 

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終わり方がやけにあっさりしているので、「打ち切りか?」という声も上がっているようですね・・・。

こればっかりは、真実は闇の中。

これ見よがしに出てきた官房長官がたったひとコマで「逮捕されました~」とかは「え?」という声しか出なかったですけどね。

 

なんかもう取り留めなく書いてしまいましたが、要は、最初の盛り上がりが持続しなかったのが心の底から惜しい、ということです。

 

2年前にこの作品に出会って、惚れ込んで投票し、グランプリ獲得に喜び、連載開始にワクワクし、そうして追い続けてきての最終回。

 

私の心に残ったのは、虚無でした・・・。

 

この虚無、どう説明すれば良いのだろう・・・・。

同じようにずっと追ってきた人は分かっていただけるのだろうか・・・。

 

誰が『誰が賢者を殺したか?』を殺したか?

それは誰にも分りません。作者か、編集か、読者か、その他の要因か。

とはいえ、「誰が賢者を殺したか?」は『誰が賢者を殺したか?』においてさして重要なポイントでは無かったというのが、この作品を象徴しているのではないでしょうか。

 

・・・本当に・・・残念です。

 

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パパママ教室における男性蔑視と「イクメン」に対する違和感

なん語を話す赤ちゃんのイラスト

 

父親になって約半年が経った。

娘はここ数週間、やたら感情が豊かになってきて、前より笑うことが増えたし、怒ることも増えた。

つい先日まで「何かを訴えたい」時の行動が「泣く」一択だったのに、「泣く」「怒る」「甘えたような変な言葉を発する」とバリエーションが出てきて、少しずつ成長してるんだな、とじんわりと感動を覚える。

 

娘もスクスク育っているのでもう時効だろう ・・・ということで、娘が産まれる前に行ったパパママ教室に関する愚痴を書き残しておきたい。

同じような不満を感じた父親は割と沢山いるのではないだろうか。

 

パパママ教室は、文字通り、パパとママになる予定の人が行くセミナーみたいなもの。

うちは、私と嫁さんの2人で、保健所(市町村)主催のものと、通っていた産婦人科主催のもの、計2回参加した。

内容は、人形を使っての風呂入れ体験だったり、男性には重りをお腹に巻いての妊婦体験があったり、家で破水した際の行動や、力む時の呼吸法など、様々。

 

中々一発で覚えられる内容ではなくて、特に子供が産まれてからの世話の数々は、実際にやってみて初めて理解できたことばかりだった。

まさに「百聞は一見に如かず」だが、さらっとでも事前に知っておけたのは心構えとして助かった。

首が座っていない乳幼児をお風呂に入れるの、ほんと難しいんですね・・・。

 

問題は、そのパパママ教室の講師役となる助産婦さん。

 

参加した2回とも、およそ50代くらいの女性の方で、仕事も子育てもバリバリやってきました、と語る方々。

この方々が、もう本当に、面と向かって男を馬鹿にする。

具体的には、「男は妊婦や母親の気持ちを分かろうとしない」「当たり前のように育児に参加しない」「ナイーブな妊婦に対して無神経な言動を繰り返す生き物」などと、そりゃあもう、立て続けに。

おそらくご自身の体験に基づく発言だとは思うし、それを反面教師として世の父親に頑張って欲しいという意図なのかもしれないが、それ、パパママ教室に参加してる父親予備軍の前で言うことですか?

ひたすら男性を批難して「だから女性って大変ですよね~」という感じで、それを聞いている周囲の妊婦さんたちも頷く流れがあったりで、自分としては心中ムカムカな訳です。

 

そりゃあね、男ですから。生物学的に、妊婦にはなれませんよ。

だから、妊婦の気持ちも、母親の大変さも、完全に「理解する」ことは不可能です。

私に母乳はあげられませんし、つわりで食の好みが変わるのもよく分からないです。

 

でも、だからこそ、「分かろう」としてパパママ教室に参加するんですよ。

 

どう考えても一番大変なのは肉体的にも精神的にも嫁さんな訳だから、じゃあ夫として・父親として何がが出来るのか、色々考えるんです。

つわり時期を中心に家事の分担を変えたり、仕事帰りに嫁さんから預かったメモ片手に買い物したり、気晴らしになると思ってケーキを買って帰ったら「つわりでそういう気分じゃない」と言われてしょげたりとか、自分なりに試行錯誤して・・・。

その一環としてパパママ教室に参加してるのに、そこで「男は妊婦や母親の気持ちを分かろうとしない」「当たり前のように育児に参加しない」などと言われて、正直に、本当に嫌でした。

 

誤解されたくないのですが、別に「手伝ってやってる感」みたいなことをアピールしたい訳ではないのです。

妊婦を夫がサポートしたり、男性が育児に参加するのって、「当たり前」だと思うんですよね、自分は。

だから、職場とかでも「イクメンですね」「偉いですね」とか言われて、「偉いのか?」と疑問符が浮かぶんですよ。(世の中の男性って、そんなに育児に参加してないんですか?)

 

だから、「イクメン」という言葉自体に違和感があってですね・・・。

そこにあるのはただ単に「親」でしょうよ。

 

grapee.jp

 

ググってみたら同じような主張が・・・。

 

まあ、まあね、日本人男性の育児参加率が低いという話は有名ですし、それを打破しようとするムーブメントやひとつの指標として「イクメン」という言葉が掲げられるのは、理屈としては分かります。

とはいえ、本質的な意味としては、全然しっくりこないです。

実際に父親になってみて、尚さらそう思いますね。

 

うちは、結婚時に2人で「すべての『仕事』を2で割って分担する」というルールを決めているので、子供ができる前は「給料をもらう仕事は夫」「家事は嫁さん(専業主婦)」という分担で回っていました。

妊娠が分かってからはこれを微調整する必要がありましたし、実際に娘が産まれてからは「育児」という新たな『仕事』が発生するので、それもまた2人で分担する。

が、どうしても「育児」だけは嫁さんがメインにならざるを得ないので(私はおっぱいをあげられないので)、そうなると嫁さんが元より受け持っていた「家事」の一部分を私が担当することでちょうど「2で割れる」訳ですね。

 

と、我が家はこういう考え方で『仕事』を分担してます。

まあ、そこまで正確にカウントしてる訳ではないですが・・・。

 

だから、「男性の育児への参加」というフレーズ自体が、自分としてはしっくりこないのが本音です。

とはいえ、誤解を恐れずに書きますが、育児はどうしても母親主体にならざるを得ないものだと思ってます。

どうやったって、完全に「割る2」には出来ないものだと。

 

以前下のような記事も書きましたが、男から母乳は出ないし、子供はやはり自分がそのお腹に入っていた母体を先に認識します。匂いもそう。

これは紛れもない女性の育児におけるアドバンテージであり、同時にディスアドバンテージでもある。

 

jigowatt.hatenablog.com

 

だから、「育児」において男性はどうやったって「後発組」にならざるを得ない訳で、ここを取っ払ってまで「男性がやるのも当たり前だ!」とも思いませんね。

無理なものは無理ですから。

でも、「後発組」だからこそ出来ることもある訳で。

 

また話がいったりきたりしますが、例えば、「奥さんが専業主婦」「旦那さんが始発から終電まで毎日仕事」という環境であるならば、私は、旦那さんに「育児」を分担させるのは酷だとは思います。(あくまで例ですよ)

この場合の旦那さんには、これ以上『仕事』を受け持つリソースが無いのですから。

こういう、個々の状況を度外視して「男性も育児に参加するべきだ!」とも、思わないですね。

この家庭には「育児」以前の段階での改善が求められるでしょう。

 

要は、夫婦間の「納得」な訳です。(「納得」は全てに優先するぜッ!!)

うちの場合は、「すべての『仕事』を2で割る」という約束で、「納得」を作ってます。

仮に男性が育児参加ゼロでも、その奥さんが真にその状態に「納得」しているのであれば、それは全然問題ないでしょう。

 

ただ、だからこそ、その「納得」をスムーズに気持ちよく行うために参加しているパパママ教室で、ことさらに「男なんて~」と言われるのは、本当に腹が立ちました。

イクメン」という単語を「イクメン」のままにしているのは、他でもないその助産婦さんたちでしょう。

男も女もなく「親だから」育児をやる。でも、どうしても男性には受け持つことのできない分野がある。

その「どうしようもない部分」(≒女性が持つ育児のアドバンテージ&ディスアドバンテージ)について、馬鹿にしながら「男には分からない」と言われてしまうと、本当の本当にどうしようもないのです。

ただただ虚しいですね。

 

自分でも当時の怒りが巡り巡って沸いてきて何を書いているのかよく分からなくなってきましたが、つまりはパパママ教室の愚痴でした。

助産婦さんもひとりの女性として、おそらく色んなご苦労もされてますし、男性に対して愚痴のひとつも言いたくなるのは、分からなくもないんですけどね・・・。

 

でも、助産婦というお仕事をされていて、しかもパパママ教室というシチュエーションであるならば、もうちょっと、その、「持っていき方」を考えて欲しかった。

それだけです。

 

戦隊夏映画の難しさとキュウレンジャー本編への不満。『宇宙戦隊キュウレンジャー THE MOVIE ゲース・インダベーの逆襲』

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ライダーと比べるとどうしても上映時間が短いので、しばしばネットでもオマケ扱いを受けてしまう戦隊夏映画。

しかし、ちょうど番組が中盤に差し掛かった頃に公開されるだけあって、「前半集大成」「番組コンセプトのおさらい」「根幹テーマの再描写」といったことをやれる強みがあり、毎年楽しみにしています。

 

そんな戦隊夏映画ですが、今年は『エグゼイド』と併映された宇宙戦隊キュウレンジャー THE MOVIE ゲース・インダベーの逆襲』

 

ex-aid-kyuranger.jp

 

宇宙SFということで、『スター・ウォーズ』の『帝国の逆襲』のパロディタイトルということかな。

ゲース・インダベーの名前もそうですし、デス・スターならぬ惑星形の破壊兵器も登場しますしね。

 

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結論から言ってしまうと、何というか、良くも悪くも「いつもの」でした。

これが『ジュウオウジャー』ならそれで良いのだけど、『キュウレンジャー』だと不満に繋がってしまう ・・・という辺りをぶつぶつと書いてみたいと思うんですけど。

 

というのも、『キュウレンジャー』、メインのTVシリーズがあんまり盛り上がっていないんです、自分の中で。

好きなんですけどね、とっても。

それが何故かというと、「シリーズ初の9人戦隊」「宇宙をまたにかけて戦う」「敵組織はすでに宇宙を征服済み」という前代未聞なスケールの設定を打ち出したにも関わらず、結局やっていることが「いつもの戦隊シリーズ」の枠からはみ出せていない、と感じるからなんです。

 

第1話放送直前の東映公式HPに、以下のような記載がありました。

 

www.toei.co.jp

 

キュウレンジャーとなる9人の救世主たちは、それぞれが星座の力を纏い、悪に支配された宇宙を解放するために戦う、宇宙各地から集まった宇宙を代表するスーパースターたちの集まりです。
 
スーパー戦隊は複数ヒーローですから、力を合わせて敵を倒すところにカタルシスがあることは間違いありません。しかし、<1人では倒せなくても、9人で力を合わせれば敵なしだ!>という戦隊にはしたくないと思っています。1人でも最強の戦士が9人集まった、宇宙最強のスター軍団、それが宇宙戦隊キュウレンジャー。そうでもないと、宇宙のほとんどを支配しているジャークマターには歯が立たないですしね(笑)
1人1人がスーパースター、9人揃ってオールスター。
とにかく強く、とにかくカッコよい戦隊、これを目指します。 

 

このコンセプト自体はすごく好きなんですけど、結局この通りになっているかというと、自分の中では「否」なんですよね・・・。

結局は、毎年の「皆それぞれ弱い部分があるけど補い合って最強のチームだぜ!」という様式美に収まってしまっていて、「それ自体」は同シリーズの型として良いのだけど、『キュウレンジャー』としてはどうなんだ、と。

 

また、同じく放送前のHPの、これも引っかかってまして。

 

いつもは敵が侵略に来るのを受けて立つフォーマットが多いスーパー戦隊シリーズですが、
今作では侵略され済みの宇宙を自分たちから仕掛けて解放していく能動的なヒーローとして描いていきます。それも<強い戦隊>であるためにはどうすべきかを突き詰めた結果導き出されたギミックです。 

 

ロケの都合だとかの制約があるのは重々承知の上で、やっぱり、地球に構いすぎなんじゃないですかね、いくらなんでも。

最近はもうめっきり「太陽系滞在の地球防衛軍」みたいな感じになっちゃってて、宇宙を能動的に解放していく姿がほどんど見られないという・・・。

だから、ラッキー以下が「宇宙を救うぜ!」と叫ぶたびに、地球に構いすぎている小規模さが浮き彫りになってしまうという、まさに自らの首を絞めている状況に思えてしまうんですよね。

 

ただ、互換性が驚異的なキュウレンオーや、個性が強すぎて面白いキャラクターの面々など、好きな部分(新鮮味を感じる部分)は沢山あって、だからこそ、結局「いつもの」に収まってしまっている現状が、いちファンとして歯がゆいというのが本音なのです。

 

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前作の『ジュウオウジャー』は、40作記念を受けての「シリーズ王道を征く」というニュアンスが強かったので、『ジュウオウジャー』が「いつもの」をやるのには大いに意味があると思いますし、実際かなりの「いつもの」でした。

その中に卑屈系の追加キャラなどの目新しい要素を入れていくことで、王道ながらも小粒揃いのアプローチを仕掛ける、という感じ。

 

安易に前作と今作が云々、という比較論はしたくないのですが、スーパー戦隊シリーズという長い歴史を見てみた時に、『キュウレンジャー』はやはり「コンセプト負け」に片足突っ込んでしまっていると思うんです。

 

 

※以下、映画本編のネタバレがあります。

 

 

という感じでやっとこさ映画本編の話なのですが、そもそも論として、なぜ地球が危機に直面しているのかがよく分からない。

 

地球はすでにジャークマターの支配下にあるという話なのに、独立部隊長のゲース・インダベーがわざわざ巨大彗星兵器を衝突させようとするのって、なんの意味があるんでしょうか・・・。

地球はプラネジュームという資源が豊富で、しかもそれ以上の「何か」があるから、他の惑星に比べてジャークマターがやたら念入りに支配している、という話でしたよね。

わざわざ所属組織が支配している油田を粉みじんに破壊する隊長って、いるんですか?

 

まあ、あれですよ。

インダベーはショウ司令に対して個人的な恨みもあったので、もしかしたらジャークマターでもかなりの異端児だったのかもしれません。

組織の命とかクソ喰らえな立場だったのかもしれませんね。

 

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とはいえ、とはいえ、ですよ。

TVシリーズでも散々地球を守っているのにせっかくの映画でもまた地球とか、幻の封印されしケルベロスが「なんの説明も無いけどキュウレンジャーボイジャーと同型でした!」とか、9人以上のチームなのに意見やアプローチの違いが無く結局ラッキーの当てのない勢いで引っ張られて結果的に万事解決とか、そういうところなんですよ・・・。

悪い意味で「いつもの」、なんですよ。シリーズとしても、『キュウレンジャー』としても。

 

まあ、戦隊夏映画って難しいんですよね。

「映画ならではのスケール感」と「いつもよりちょっとだけしか長くない上映時間」が、単純に食い合わせが悪い。

だから、例えば、『ゴーバスターズ』の「実在するスケール感の建物を使ったロボ戦をやる」、『キョウリュウジャー』の「ミュージカルをやってみる」、古くは『デカレンジャー』の「TVシリーズ以上の大掛かりなアクションに挑む」といった、何らかの「フック」「売り」を設けるパターンが多い。

こうすることで、短い上映時間でワンポイントな強みを作れる訳ですね。(一概にそれらが成功しているとは言いませんが)

 

この点も、やはり今回の『ゲース・インダベーの逆襲』は「弱い」。

確かに3つの惑星に分かれてのケルベロス争奪戦というポイントはあるのだけど、そのうちのバイクチェイスくらいしか目新しさが無い。

チャンプの正真正銘「リングスター」が観られたのは良かったんですけどね。

地球がキュータマになって『妖星ゴラス』的なアレになるのも面白かったんですけど、地球規模の大決戦はどうせならTVシリーズの最終回に取っておいても良かったのでは、という余計な心配が拭えず・・・。

 

あ、でも、「超巨大戦」「巨大戦」「等身大戦」をひとつの画面で見せるカットとかはすごく好きでした。

 

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なんかこう、とりとめのない感じになってしまいましたが、要は、「『キュウレンジャー』、応援してます!」というやつです。

個々のキャラクターはすごく好きなので、もっとラッキーやスティンガー以外の面々を深掘りしたり、それぞれの出身惑星をストーリーに絡めてみたり、そういう後半戦を期待したいと思います。

 

 

◆『エグゼイド』の感想

jigowatt.hatenablog.com

 

◆最近観た映画の感想

jigowatt.hatenablog.com

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原作からの改変(再構成)について考察・検討してみる。『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』

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期待7割・不安3割ほどで臨んだ、実写版ジョジョことジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』

ここ数週で連続しているジャンプ漫画実写化作品の流れにおいて、本作もそれらと同様に、とても丁寧に原作の魅力を再構成したものに仕上がっていたと思う。

 

warnerbros.co.jp

 

先日更新した小説版『岸辺露伴は動かない』の感想記事にも書いたが、ジョジョの世界を「荒木先生以外」が作品化するというのは、決してハードルが低い行いではないだろうな、と。

あまりにも荒木先生の引力が強すぎる原作なので、下手に真似れば大火傷だし、かといってアレンジしすぎても大火傷だし ・・・という感じで、しかも連載も長くファンも多く、近年はアニメ化・ゲーム化とコンテンツとして加速度的に巨大化している作品でもある。

 

jigowatt.hatenablog.com

 

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