ジゴワットレポート

だから僕は「神様、僕は気づいてしまった」にハマっていましたのでとにかく語らせてくれ

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久々にしっかりとハマってしまったバンド、神様、僕は気づいてしまった。通称「神僕」。

 

バンド名が完全にいわゆる厨二的なアレで、覆面バンドで被り物のモチーフが神様というのも、中々に「キてる」感じ。
つくづく、アーティストというのは曲そのものだけでなく見てくれやプロモーションを含めた一種の総合芸術だなあ、と思い知らされる。
覆面バンドである理由を「曲自体の魅力に注目してほしいから」と語っているらしい彼らだが、むしろその特異なビジュアルが曲の神秘性やスレた雰囲気に拍車をかけている側面もあり、そのしたたかさが売りのようにも感じる。

 

realsound.jp

 

──ということは、リスナー層としては若い世代を想定しているんでしょうか

和泉:若い人だけに限らず、人はそれぞれ悩みを抱えていると思っています。でも、僕たちがコンセプトにしているような苦悩を抱えているのは若い人が多いかなと。

東野:まず他人事としてではなく、実体験がコンセプトになると思うんです。僕たちがそういった悩みを抱えた10代を過ごしたので、だったら同じような10代の子たちを巻き込んで、自分たちが過ごした10代とは違うものにしてもらえたらなと。救いたいとかそういう気持ちとは違った、純粋に共犯者として巻き込んでいきたいし、当事者として聴いてもらえたらなという部分が強いんです。きっと一番当事者になってもらえるのが10代だと思うので、僕らがまずやるべきことは10代の洗脳かもしれないですね。

 

バンドのブレインである東野へいと氏がこのインタビュー記事で述べているように、「神僕」は非常にロジカルにプロモーションされていることが分かる。


ただの厨二コンセプトバンドのような反骨精神に甘んじるのではなく、ドラマとのタイアップならその脚本を読んで内容に寄せ、意味深なバンド名が獲得するであろう年齢層までを分析する。

ネガティヴで鬱屈とした10代が抱きやすい負の感情を神様に擬人化し、それに対して「ざまあみろ!」を投げかけるコンセプトであるからして、紡がれる歌詞もネガティヴで自虐的なものが多い。
世の中に絶望し、人生や人間関係を皮肉り、ポエマーを気取ってみせるその一種のカッコ悪さを、必要以上にキャッチーなメロディに乗せて歌う。
そのギャップが、土台にあるメンバーの確かなスキルの上で展開されるからして、中毒性のある楽曲に仕上がっているのだ。

 


神様、僕は気づいてしまった - わたしの命を抉ってみせて

 

デビューアルバム『神様、僕は気づいてしまった』の1曲目、「わたしの命を抉ってみせて」は、同アルバムのリード曲に設定されている。

 

「神僕」らしいハイトーンのサビが印象的な曲だが、アルバムの出だしから斜め上のお洒落な雰囲気をまとっているのが面白い。
いわゆるジャジーな仕上がりになっており、スウィング・ジャッズのリズムをドラムに刻ませて、それを横断するボーカルの伸び伸びとした声質を聴かせることに注力している。


シャーロック・ホームズフリードリヒ・ニーチェが登場する、やたら「おしゃんてぃ」な歌詞は、「折り合いはまたにして」「勘定はまたにして」とひたすらに他者を突きつけて締められていく。
非常に「神僕」らしい、バンドコンセプトを象徴する一曲だ。

 

宣戦布告

宣戦布告

 

かと思えば、同アルバムの2曲目「宣戦布告」ではゴリゴリのロックサウンドでギターがかき鳴らされる。


割とベタなAメロBメロサビ構成だが、そのオーソドックスさに「神僕」のスレた自虐性が加わると、途端に独特の色に見えてくるから面白い。
「明日は昨日よりずっと冷たい」「一生孤独なピエロで震え怯えていくのだろう。これは宣戦布告だ。もう何もいらない」。
相変わらず世の中を憂い唾を吐きかける「神僕」カラーの歌詞で、その言葉選びにも一々ゾクゾクさせられる。


余談。


「神僕」のボーカル・どこのだれか氏はニコニコ動画で人気のアーティスト・まふまふ氏だとする説が有力だが、前述の「宣戦布告」はそのどこのだれか氏が作曲を務めており、まふまふ氏が参加する After the Rain というユニットの「解読不能」(まふまふ氏作曲)とコード進行やリズムの作り方が酷似していることから、私もその説を支持したいところである。(とはいえ覆面コンセプトバンドなので仮にそうだとしても一応は気付かない振りをするのがファンのマナーというものか...)

 

解読不能

解読不能

 
どこのだれか氏がまふまふ氏であろうとなかろうと、両者が操るハイトーンボイスは非常に聴きごたえがある。


余談終了。

 


神様、僕は気づいてしまった - CQCQ

 

アルバム3曲目にして、シングルで先行発表された代表曲「CQCQ」が鳴り出す。


CQ」とは無線通信で範囲内の誰かに一斉に呼びかける際に用いられる略符号であり、その無線が用いられるからか、「沈没船」「航海」といった船旅を連想するワードが並んでいる。
ドラマ『あなたのことはそれほど』の主題歌ということで、同番組のテーマである不倫を船旅に例え、「どうしたってなれない夢ばっかを選んで、どうにだってならない嘘なんかを吐いて」、ついには「遭難信号に気づいて」と叫び、「CQCQ!」と何処かの誰かに助けを求める。
それは確かに番組テーマの不倫を模しているし、同時に、思い通りにならない世の中に依存しながら嫌悪感を抱き、気付けば叫び声を上げてしまうという「神僕らしい」ネガティヴな雰囲気としても完成されている。

 

──神様、僕は気づいてしまった(以下、神僕)の話に入る前に、まず最初に東野さんと和泉さんの音楽的ルーツから聞かせてください。

東野へいと(以下、東野):いろいろなアーティストを聴いて育ってきているんですけど、思想に影響を受けた特定のミュージシャンがいるわけではなくて。僕はどちらかというと音楽の歴史や数学的な側面、例えば「今聴いている曲が気持ち良い。じゃあなんでこの曲は気持ち良く聴こえるんだろう?」みたいな部分を考えるのがすごく好きで、そこからフィードバックを得ているというか。


「CQCQ」は東野へいと氏の作曲だが、彼の語る「なぜその曲が気持ち良いのか」という指針を非常にダイレクトに表した曲とも言える。


Bメロまでのアンニュイな雰囲気から一転、サビではびっくりするほどのハイトーンが鳴り響き、サビの2フレーズ目では更にもう少し上にフェイクを入れるように入っていく。
そして、畳み掛けるように「気付いて」からの一連の流れでサビの延長をキメることで、普段のJ-POPがいわゆる「ラスサビ」に持ってくる「てんこ盛り」の感覚をまかの初っぱなからぶつけてくるのだ。
だからもう、否が応でも「気持ち良い」。

 


神様、僕は気づいてしまった - 僕の手に触れるな

 

アルバム『神様、僕はきづいてしまった』には他に、引き続き他者を拒絶する「僕の手に触れるな」、神様の立場から破壊衝動をぶつける「天罰在れかしと願う」、アルバムで唯一未来を見据えている「大人になってゆくんだね」、東京の街で腐っていく主人公を歌った「だから僕は不幸に縋っていました」など、もはや聴きごたえしかない曲々が収録されている。

 

 

「神僕」は、見せかけ・見てくれの厨二っぷりや毒っ気を開き直ってぶつける清々しさがあり、その土台にあるアニソン的な「ここ!というタイミングでちゃんと音が入ってくる気持ち良さ」を地に足の着いたスキルで完成させていくという、非常に独特なバランスを持ったバンドである。

 

思いっきり、ここ数日は彼らの音楽しか聴いていないくらいに本当に思いっきり、ハマってしまった。
特定のバンドの新曲をこれほどに渇望したのはいつぶりだろうか。

 

この毒のあるコンセプトやビジュアルが一体いつまで持続するのかは分からないが、見た目から漂ういわゆるその「臭さ」が嫌いになれない人間のひとりとして、長い付き合いになることを願って止まない。

 

 

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