ジゴワットレポート

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『オーズ』最終回におけるアンクの「タカ!クジャク!コンドル!」がどうしても納得できない

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今から書くのは結論を見ないただのモヤモヤであって、しかも『仮面ライダーオーズ』の名シーンとも呼ばれるくだりにともすればケチを付けてしまう内容かもしれないので、「オーズは完全無欠の最高の作品だ!!!!ハッピーバースデイッッ!!!!」という人は多分読まない方が良いと思います。

 

タイトルの通りなのですが、私は、『仮面ライダーオーズ』最終回「明日のメダルとパンツと掴む腕」における最後のタジャドル変身の際のアンクボイスでの「タカ!クジャク!コンドル!」に、放送当時からあまり納得がいっていないんですよね。

 

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とはいえ、この演出自体が「好きか?」と問われれば、「好きです!」という答えしかなくて、「感動するか?」と問われれば、「感動します!」なんですよ。それはそれとして、やっぱりちょっと引っかかってしまって。

 

それは何故かというと、単純に、「オーズドライバーからアンクの声は普通鳴らないから」なんですね。串田アキラの声で「タカ!クジャク!コンドル!」と力強く叫ぶのがオーズドライバーのシステムかつ最大の特徴であって、最終回のアンクのそれは、その設定を脇に置いてまでやって良かったのか、というモヤモヤが未だに拭えないんですよね・・・。

 

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まず、映司の最後の変身のシーンがどういう構成だったかというと・・・

 

・何度攻撃を与えても真木博士グリードが倒せない

・もう映司の手元に状況を打開できるメダルが無い

・アンクは自らを構成していた3枚の鳥系メダルを映司に投げる

・アンクの核であるタカメダルは最終決戦以前にすでにひび割れていたが、アンクはそれをあえて映司には伝えていなかった

・映司は紫のメダルによりグリード化が進行しており、視力に問題が出ていた

・アンクから託されたタカメダルが割れているか否か、視界がザラついて判断が困難な映司

・映司は、アンクが「やれ」と言ったからこそ、その言葉を信じて変身する

・通常と異なり、アンクの声で「タカ!クジャク!コンドル!」が鳴る

・タジャドルに変身する

 

・・・というシーンな訳ですね。

 

で、ここの重要なポイントは、やはり「映司がタカメダルの損傷を視認できていなかった可能性が高い」、という点。

 

 

まず脚本の意図を尊重すると、「映司はメダルが見えていない」。でも、アンクが言うことだからと、彼を信じて変身する。アンクが自分を構成するメダルを差し出すのは通常あり得ないことなので、映司自身も不穏な空気を察したとは思うが、それでも変身する。

 

つまり、「映司にとってこのタジャドル変身が実質最後の戦いになるということはこの時点では分からない」ということが言える。

 

何が言いたいかというと、視聴者的には間違いなく最後の戦いなのだ。「最終回」で、放送時間も「残り数分」のタイミングなので。だから、最後のメモリアルとして、アンクがメダルの名前を叫ぶことに「じーん!」とくる。これは分かる。

 

が、映司にとっては「これが最後」だとは分からない。真木博士グリードを倒せるかは分からないし、メダルの器となって暴走したウヴァオブジェを止める方法も分からない(結局真木と一緒に消えたけど)。そういった中で、この1年間の戦いの中で何度もあった「ギリギリの攻防」「刹那の駆け引き」のひとつとして、まさに「アンクと潜り抜けてきたいくつかのピンチのひとつ」として、映司にとってはある意味の「いつものこと」だったと思うのだ。

 

「いつものこと」で、でもそこに不穏な空気を察するけど(もしかしたらザラつく視界の先に残酷な真実があるのかもしれないけれど)、でも、アンクが「やれ」と言うから、やる。だって、アンクの指示を受けるのは、映司にとって大切な「いつものこと」だから。

 

そういう解釈があった時に、つまりは、「これが最後だと分かっている」のは、我々「視聴者」だけなんですよね。映司にとっては、信頼の上に築かれる「いつものこと」。だからこそ、ここは、「いつもの」ボイスの方が良いと、そう思えてしまうんですよ。「最後の変身だからアンクの声ですよ~!」というのは、極端なメタ的サービスの域を出ない印象があって、確かに感動はするけども、ここは「いつもの」であることに意義があるんじゃないのかと。

 

つまりは、ドラマが盛り上がってエモーショナルに高まってきている視聴者それぞれの頭の中でアンクの声が鳴るかもしれないことに意味があるというか、それをわざわざ劇中でやっちゃうのは無粋というか、野暮というか、くどいというか、「感動の演出じゃ~!」という意図で殴られる感じがあって、そりゃあ殴られれば満面の笑みで殴られるんですけど、本音を言うとこっちで勝手に脳内で付加してグヘッて血を吐きたかったというか!!!ああくそ!!!なんて書けば伝わるんですかこのモヤモヤ!!!!!

 

要はですね、「視聴者に向けた感動的な演出サプライズ」は、私の中で、「設定」や「物語の意図」を飛び越えては肯定されにくい、という話です。

 

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・・・などと考えると脳内で色々と反論が浮かんではそれにまた反論する、という面倒臭いループが始まるんでけどね。

 

「アンク自身のコアメダルだから特別だったのでは?」

→それだと夏映画の時もアンクの声じゃないと齟齬が・・・

 

「映司の頭の中に響いたという演出では?」

→上に書いたように映司にとっては「最後の」という認識は無かったと思うので、じゃあどういう理由で響いたのか、という話になりませんかね。

 

「そもそもオーズドライバーが日本語で鳴るのがおかしい」

→今そこの話じゃない!

 

「アンクのコアメダル(タカ)が割れていたからドライバーの読み込み不良が起こってアンクが代わりに叫んだのでは?」

→それだとクジャクとコンドルもアンクの声なのはどうなんですかね・・・

 

おそらく、そろそろこれを読んでいる人から「最終回だから特別な演出があった、それで良くない? なんだこいつ面倒臭いな」って思われてると思うんですけど!!!思うんですけど!!!ちゃうんや!!!ちゃうくないけどちゃうんや!!!それで「ですよね、特別な演出ですよね!」で終わるんならわざわざ書いてないんですよこんな記事!!!

 

このモヤモヤ感、誰か分かってくれる人いないんですか!!!! 

 

・・・などとまあ、Twitterで呟いていたら、フォロワーの方から意見をいただいて納得してしまったのが、「アンクが最後の力を振り絞ってドライバーの設定を支配下に置いた上でメダルの力を引き出した」というやつ。うん、まあ、ざっくりとこういうことだとは思うんですよね。ですよね。

 

でも・・・ やっぱり私は・・・ あそこは普通に串田アキラボイスで鳴ってくれた方がむしろより感動できただろう、と・・・

 

そういう完全なる「好みの話」くらいは、場末のブログで書かせてください、と。そういう訳であります。

 

第1話「メダルとパンツと謎の腕」
 

 

まあ、これだけグチグチやっちゃうのは、紛れもなく『オーズ』が大好きだからなんですけどね。

 

「欲望」という、フィクションでは多くの場合「悪いもの」として扱われるその感情を軸に、「誰かを救うとは」「誰かを頼るとは」「生きるとはどういうことか」を問いかける物語。非常に重いテーマであり、見ごたえもあり、特に最終回は山積みであった数々の要素を完璧に消化した見事なストーリーだったなあ、と。「ただのメダルの塊が死ぬところまできた」という台詞の良さといったら・・・。

 

(いや、もう何というか、『オーズ』の素晴らしさに比べたらこの記事のモヤモヤのなんと陳腐なことか・・・ もういっそ読んだこと忘れてください、というか・・・ なんかもうアレなんで取りあえず例の曲を貼っておくのでみなさん試聴ボタンを押してもらってお口直しをして欲しいというか・・・)

 

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