ジゴワットレポート

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感想『仮面ライダー 平成ジェネレーションズFINAL』暴走気味の愛とリスペクトを設定に込めて殴る、平成最後の衝撃作!

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仮面ライダー 平成ジェネレーションズ FINAL ビルド&エグゼイド with レジェンドライダー オリジナルサウンドトラック

 

公開日朝イチで観に行った『仮面ライダー平成ジェネレーションズFINAL ビルド&エグゼイドwithレジェンドライダー』。(改めて字面で見るとやっぱ相当長いなコレ・・・)

 

www.toei.co.jp

 

冬の『MOVIE大戦』が恒例化して久しいが、この「冬映画」枠もかなりの変遷があったなあ、と今更になって感慨深くなる。

初代MOVIE大戦こと『2010』でふたつの東映△マークが現れた時はやはり度肝を抜かれたし、『MEGAMAX』で5部構成になったり、『ジェネシス』で新旧ライダーの物語が完全一本化されたりと、春の枠とはまた違ったアプローチでの「攻めの姿勢」が見られた。

 

昨年からは『平成ジェネレーションズ』と題し、レジェンドライダーの出演を大々的に打ち出す作りに改革。そして、リニューアル2作目でいきなり『FINAL』と銘打たれた本作は、非常に特殊な性格を持つ作品だったな、というのが率直な感想である。

 

 

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先ずもって何より、本作の監督を務めているのが上堀内佳寿也氏であるところから言及していきたい。兎にも角にも、大森プロデューサーによるこの抜擢が本作の特徴を決定付けたのだと思えてならないからだ。

 

本作のメガホンを取った上堀内佳寿也監督は、今回の映画で復活を果たすレジェンドライダー『オーズ』『フォーゼ』『鎧武』『ゴースト』では助監督として参加し、キャストたちと濃密な時間を過ごしてきた。それだけに本作を演出したときの感想を求められると、「懐かしかったですね。助監督として1年間近く過ごした歴代作品のキャストと、今度は監督として再会できた。ただ懐かしいだけでなく、みんなそれぞれ成長して帰ってきたことに驚かされ、お互い感慨深いものがありました」と熱っぽく語っていた。 

 

news.mynavi.jp

 

オジンオズボーン・篠宮暁(以下、篠宮):早速ですが、どういう経緯で本作の監督に決まったんですか?

 

上堀内佳寿也監督(以下、上堀内):確か、「エグゼイド」の39話、40話の編集作業をした帰り道に、大森敬仁プロデューサーと映画の話をしていたんです。そしたら、「じゃあ、そういうことで。お願いします」と、さらっと。撮影所に僕の「えぇー!!」って声が響いてました(笑)。

 

篠宮:だいぶ早い出世ですよね?

 

上堀内:ほかの監督さんや周りの方々と話して「驚きました」っていうと、みんなから「こっちが驚いたよ!」って言われます。

 

篠宮:どういうところが評価されて、本作に抜擢されたと思いますか?

 

上堀内:若さ、でしょうか(笑)。ほかの監督と違うところって、若さからくる勢いくらいなんじゃないかな、と思います。

 

cinema.ne.jp

 

引用したように、上堀内監督は本作に登場するレジェンドライダーたちの現場でずっと助監督として働かれていた方で、『エグゼイド』にて遂にTV本編監督デビュー、続く『ビルド』でも(本稿執筆現在で)計2話を担当されている。

様々なキャストのインタビューでも「上堀さん」の愛称で親しまれる監督だが、その実績通り、各ライダー作品への「愛」が凄まじく、本作ではそれが半ば暴走気味に画面に盛り込まれるという、これまでのライダー映画とはちょっと一線を画する仕上がりとなっている。

 

というのも、これまでの平成ライダーの集合映画(クロスオーバー映画)というものは往々にして「緩く繋がる」というニュアンスがあり、それぞれ独立した世界観で描かれるドラマが融合することに深く言及した作品は少なかった。

 

それでもオタクという生物は無駄に厄介なもので、例えば「ダブルの夏映画に出演したオーズはその後のダブルが最終回で1年後をやったので時間軸がズレているのではないか」とか「鎧武の世界がヘルヘイムの浸食により壊滅の危機に瀕したのに過去のライダーたちはどうして助けてくれなかったのか」とか・・・。

そういった、公式が「映画は特別なので緩く繋がって共演します!」という温度でやる共演について、様々な理屈をこねまくって勝手に納得する、そんな自主活動が例年行われていた。(少なくとも私の脳内では)

 

とはいえ、「映画は特別なので緩く繋がって共演します!」は東映の御家芸であり伝統芸とも言える方法論なので(戦隊しかり過去のヒーローしかり)、「それはそれ」として納得している自分がいたことも事実である。

 

そんな必要以上に面倒臭い地平に、本作『平成ジェネレーションズFINAL』は、真正面から設定という名の拳で殴りにかかる作りになっていた。「パラレルワールドという設定そのものが今回の敵の攻撃だー!くらえー!」という感じで、理屈にこだわるオタクな視聴者たちをタコ殴りにする仕上がりであった。

なぜこんなことをわざわざ書くかというと、前述の通り、ここまで「共演すること」を「お祭りなので!」で片付けなかった平成ライダー作品は、これまでそうそう無かったからである。

 

平行世界のビジュアルを「ふたつの地球」でしっかりと提示し、それを衝突させることが敵の目的で、それを阻止することがライダーたちの使命。だから、世界観の異なるライダーたちが一時的に共闘することが可能になるのだ! ・・・なんて、よくもまあここまでしっかりと土台を設けたな、と。

 

 

これについては、本作のプロデューサーが大森敬仁氏であるところも大きいと感じている。というのも、コンテンツとして太く厚く成長した平成二期で『エグゼイド』『ビルド』と2年連続してプロデューサーを務めたのは大森氏が初であり、だからこそ、2作品の設定を緻密に踏まえた土台作り&クロスオーバーが可能だったものと思われる。

特に『ビルド』の世界はスカイウォールという日本を三分割する未知の壁が存在する世界観であり、その殺伐とした設定と謎が本編の核であるからして、例え共演映画だとしても絶対にそこを崩したくなかったのかな、というのは推測が過ぎるだろうか。

 

かくして、『ビルド』はその世界観設定を守ったまま、『エグゼイド』以前はそれまでの共演映画で出来た「繋がり」を尊重したまま、文字通りの「壁」を壊すことなく両作品を見事に融合させることに成功している。

『エグゼイド』夏映画『トゥルー・エンディング』で登場したビルドや、TV本編最終回で登場したビルドガシャットなど、本来なら「おまけ」で片付けても許されるだろう要素をしっかりと本編設定に組み込んだのも、驚異的である。

 

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話がかなり横道に逸れてしまったが、だからこその上堀内監督なのだ。

前述のとおり、『オーズ』から最新作『ビルド』に至る全てのレジェンドライダーの製作に現場の第一線で関わってきた人だからこそ、過去の作品群を最大限尊重したクロスオーバーをまとめあげることが出来る。

詳しく後述するが、火野映司役・渡部秀氏の特別ラジオ番組でも、上堀内監督は「各々の作品へのリスペクトを込めた演出をした」という趣旨のことを述べており、生身で跳びあがってアクションをする葛葉紘汰や、水面で浮遊するゴーストなど、シリーズを観てきた人間こそ「おおっ!」と叫びたくなるカットに満ちていた。

 

また、同監督は非常にアイデアとギミックに満ちた映像を作る方、という印象が強く(『エグゼイド』でいくとクロノスの背にあった巨大時計やパラドが水に沈むイメージ映像は監督の発案とのこと)、今回もVFXを湯水のように用いたクライマックスのバイクアクションと大乱戦には、その映像に新鮮味を覚えるほどであった。

画面の奥まで使った大胆なバイクアクションの連続は、もはや『バトライド・ウォー』シリーズの映像化と言っても差し支えないだろう。

 

仮面ライダー バトライド・ウォーII プレミアムTV&MOVIEサウンドエディション - PS3

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スタッフ面で加えるならば、本作は『エグゼイド』のメインライター・高橋悠也氏と『ビルド』のメインライター・武藤将吾氏の完全共作となっており、片方が作ったシナリオを片方が直し、またそれを片方が直し、というキャッチボールが繰り広げられたとのこと。

 

これについては『ハイパーホビー VOL.6』の両脚本家対談をぜひ参照して欲しいのだが、注目すべきは高橋氏の過去作への研究度合いである。「(各レジェンドライダーの)その後の展開も含めて時系列で最後となっているポイントの人間関係や信念を抽出し、基本はそれを踏襲しながら、そこに少しだけ今らしい新しさを付け加えた」という趣旨の執筆意図が語られているのだ。

これもまた、どの作品とはわざわざ言わないが 「お祭りなので!」という大義名分で原典へのリスペクトが感じられないレジェンド出演に苦い思いをしてきたファンにとって、失礼ながら「愚直すぎる!」と言ってしまいたくなるほどに驚くべきスタンスであった。

 

ハイパーホビー VOL.6 (ハイパームック)

ハイパーホビー VOL.6 (ハイパームック)

 

 

  ――さて、いよいよ12月9日よりビルドとエグゼイド、そしてレジェンドライダーたちが豪華共演を果たす映画『平成ジェネレーションズFINAL』が公開されますので、こちらのお話をうかがいたいと思います。脚本にはお2人のお名前が連名で記載されているのですが、かつての「MOVIE大戦」シリーズのように『ビルド』パート、『エグゼイド』パートと分かれている作りではないですよね。どのようにして合作作業が行われたのでしょうか。

 

武藤:内容的に、わりとガッツリ共作しているんです。最初に「こういう映画をやろう」と話し合った際、僕がみんなの意見をまとめてまずアウトラインとなるべきストーリー案を起こしました。その際に、日本がスカイウォールという壁で3つに分断されている『ビルド』と、スカイウォールが存在しない『エグゼイド』およびレジェンドライダーの世界観の違いをどうするかを考えました。

 

これまでの仮面ライダー共演映画で、時空を超えて別の世界同士のライダーが集う、というアイデアはわりかし使われていたのですが、パラレルワールドそのものを物語の主軸にすえて物語を作る、というのは無かったと思いまして。戦兎が天才物理学者という設定もありますし、パラレルワールドを映画の中できちんと説明して、互いに行き来が出来ない世界同士が融合する=破滅につながるという危機を設定し、これを阻止するためにどうするか、というストーリーを考えたんです。その後、高橋さんが第1稿、第2稿を上げられて。

 

高橋:『ビルド』に関しては詳しくわからないところがありますから、そこはざっくりと書いて、あとは武藤さんにお任せしました。僕は主に『エグゼイド』とレジェンドライダーのパートを書いています。

 

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更に加えて、本作のレジェンドライダーの中でもひと際注目を浴びるオーズについては、主演を務めた渡部秀氏の尽力が大きい。

 

渡部氏は元々が仮面ライダーオタクで、『オーズ』の主演のために上京して気合たっぷりで撮影に臨んだため、当初はアンク役の三浦涼介氏に距離を取られてしまったりで現場の空気が殺伐としていたらしいが、最後には大の親友とも言える仲になり、そのキャスト陣の舞台裏での友情物語が『オーズ』本編とも符合するという、ファンにとっては「ありがとうございます」としか言えない背景が存在する本作。

今回も、渡部氏に届いたオファーを受けて、渡部氏から三浦氏へ「一緒に出ないか?」という誘いがかかった経緯があり、ファンにとってはその舞台裏までもが涙を誘う出演となっている。

 

 

上でも少し触れたが、渡部氏がパーソナリティを務める『レジェンドの、向こうへ』という特別ラジオ番組がJFN PARKで公開されており、上堀内監督の裏話や、三浦氏との当時の思い出トークなど、ファン必聴の内容が展開されている。

 

ここから、第4回放送の渡部氏と三浦氏におけるトークの一部を引用したい。

 

渡部「今回ね、こだわったもんね。出るにあたって。台詞もそうだし、一番あったのは・・・ 俺が一番ファンの気持ちが理解できるから、俺が元々ライダーのファンってこともあって、『アンクが帰ってくるちゃんとした理由』が欲しかったんだよね。やっぱりどうしても、映画で少し出て、ということは簡単だけども、少しのシーンでも観てるみんなが納得できる復活の仕方というのを、今回求めてて・・・」

 

三浦 「うんうん」

 

渡部「で、今回りょんくん(三浦涼介氏の愛称)が出るっていうのが決まって、そこから3人で色んな意見交換をしてさ、ここはこうした方が良いんじゃないか・ああした方が良いんじゃないか、という話を経てさ、今回の撮影に至ったわけじゃん。例えばアイスのくだりは、俺達を表現する一番大事な・・・ ある意味メダルよりも大事なアイテムでもあるのかな、ってのは一個すごい思ってて。そこでアンクのずる賢さとかさ、ただ単に協力するだけじゃないぞ、っていう小憎たらしさみたいなのも入ってるしさ・・・」

 

何よりも平成ライダーオタクで、誰よりもオーズファンである渡部氏自らのアイデアを大いに盛り込んだ「アンク復活劇&オーズの活躍」なので、そりゃあ、表面張力ギリギリの「愛」が溢れることは必然と言えるだろう。

 

だからこそ、あえて難点を挙げるとすれば、本作は非常に「二次創作」的な香りのする仕上がりとなっている。

 

世のオタクたちが「こんな形でレジェンドたちが再び活躍すると嬉しいな」と妄想するそのストーリーラインに限りなく近いものがまさかの公式によって映像化されており、「アンクの復活は嬉しいけどそう簡単に復活するのは違うよな~」とか「弦太朗のフォーゼドライバーは後に本人によって破棄されるからそことの整合性を付けて欲しいな~」とか、その手のオタクの妄想をことごとく設定面でクリアして全問正解で殴る! ・・・という未曾有の勢いが内包されているのだ。

だからこそ、その「オタク向けすぎないか」「あまりにもあざとくないか」「(我々にとって)近すぎないか」というあたりで拒否反応を覚えてしまった人がいたとしても、私は不思議には思わない。現に私も、「うっ!サービスが過ぎるのでは!?」となってしまったシーンが無い訳ではない。

 

しかし、その「二次創作」的な、あまりにも理想的なレジェンドたちの活躍を創り上げたのは、2作品連続で旗頭を務めるプロデューサーと、過去作を研究してリスペクトを重ねた脚本家コンビと、作品愛に溢れる主演俳優と、そして、長年製作現場の第一線で汗を流してきた助監督、という布陣なのである。(そしてその助監督の記念すべき映画監督デビュー作!)

確かにオタクに近すぎる作品だったかもしれないが、作り手の面々が込めに込めた「愛」ゆえの完成物が「これ」であるならば、私はやはり一介の仮面ライダーファンとして、感謝の意が何よりも先に立つのである。

 

よくもまあ、こんな作品を、こんなバランスで創り上げたものだ、と。よもやこんな「愛の塊すぎる作品」を観られる日が来るなんて、思ってもみなかったからだ。スクリーンから むんむん! と熱気が漂ってくるほどである。

そういった意味で、本作は私にとって十二分に「衝撃作」なのだ。

 

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さて、では、話を物語そのものに移したい。

 

本作は前述した「半ば暴走気味の愛とリスペクト」が物語そのもにも反映されている。『ビルド』のサブ主人公・万丈龍我という「新米仮面ライダー」の視点から、「仮面ライダーとは? なぜ仮面ライダーは戦うのか?」という、ヒーロー物の根本的な問いについて探る構成となっている。

万丈は『ビルド』TV本編でもつい数週間前に仮面ライダーになったばかりのキャラクターであり、彼に視聴者目線の役割を振るのは非常に理にかなっている。

 

twitter.com

 

また余談だが、本作『FINAL』は『ビルド』本編第14話と第15話の間の話であると公式に明言されている。

主人公である戦兎がブラッドスタークに「お前がやってきたことは仮面ライダーごっこに過ぎない」という事実を突きつけられた直後の話であり、このタイミングで先輩たちと共闘して「仮面ライダーはなぜ戦うのか」を語り直す戦兎が映画で描かれたのは、もはや出来過ぎとも言えてしまうタイミングである。素晴らしい。

 

仮面ライダービルド DXラビットタンクスパークリング

仮面ライダービルド DXラビットタンクスパークリング

 

 

万丈を視点にした「仮面ライダーとは」という語り口は、世界各国、はたまた宇宙の果てから駆けつける先輩ライダーたちの、その「駆けつける」行為そのものを「答え」とするものであり、レジェンドたちが豪華に出演するというメタ的な事情を物語の中に組み込んでしまうウルトラCでもある。

 

なぜ仮面ライダーは、誰に頼まれた訳でも、誰に感謝される訳でもないのに、それでも戦うのか。

万丈が抱く疑問はもっともで、しかし、それをレジェンドの誰もが言葉にして語るといった野暮なことはしない。ある者は届く限りの手を伸ばし、ある者は母校に駆けつけ、ある者は自分を育てた星を守るために、ある者は命を燃やし尽くす覚悟で、ある者は目の前の命を救うために、懸命に戦う。

 

その背中を見て万丈が「仮面ライダー」として決意する流れは非常に王道のそれであり、身近な存在である戦兎がすでに精神的にはレジェンドの域に達しているというのが(仮面ライダーとしての意義に辿り着いているのが)、最新作『ビルド』の魅力として軸がブレない。

 

また、世界観やテーマは異なったとしても、『ダブル』以降のいわゆる「平成二期」の作品群は基本的に明朗で肯定的なメッセージに満ちた作風が多く、それらのひとつの集大成としても、申し分ないバランスだったと感じている。

 

例えば、ファイズやカブトが出てきて「愛と平和のために!!それが仮面ライダーだ!!」と叫んだとしても、それはやっぱり「似合わない」と思うのだ。彼らの魅力が映えるのは、あまりそういう路線ではない。

これが一転して、オーズなら、フォーゼなら、鎧武なら、ゴーストなら。彼らなら、真正面から戦兎の言うところの「ラブ&ピース」を語っても、「似合う」。それが似合うほどに、作品それぞれがエンタメ性に満ちた人間賛歌として成立していたからである。

そういう意味での「二期集大成」として、本作『FINAL』はひとつの答えと言っても過言ではないだろう。個々が決め台詞を叫ぶあのシーンが、まさに象徴的である。

 

先ずもって、やはり「ありがとうございます」、そして「ありがとうございます」、続けて「ありがとうございます」という感想が出てきて、そうして、やっとこさ個々のシーンへの想いを語りたくなる。

そんな、極上すぎる「愛!過多!」なファンムービーとして、本作はシリーズを追ってきた人にこそ観て欲しい作品である。本当に、年の瀬に良い物が観れました。満足です。

 

・・・ただ、実際に今『ビルド』や『エグゼイド』に熱くなっている子供たちは果たして本作を楽しめたのか(レジェンドの続編的な作りや連打される設定説明がマイナスに働いていないか)という「気がかり」は確かにあって、でも、自分はもう「子供たちの目線」が枯れてしまった人種なのでそれを語れる立場に無く、本稿はあくまで「オタクの目線」に立って書かれています。